中屋庄兵衛の碑
(なかやしょうべえのひ)

中屋庄兵衛の碑

 脇野町鋸(のこぎり)の始祖と言われる中屋庄兵衛は、文政元年(1818年)脇野町に生まれ、18歳で会津若松の鋸鍛冶・中屋重左衛門に師事し、その奥義をいかんなく習得、天保13年(1842年)脇野町に戻り鋸鍛冶を開業しました。
 弟子の養成にも努め、庄兵衛が養成した4人の弟子たちの系譜をたどれば、現代に至るまで長岡・柏崎・関原・出雲崎等の鋸鍛冶のほとんどがこの門下に属し、この系統に属する同業者は、県内はもとより北海道や関東など各方面に散在し、その数500名を超えると言われ脇野町鋸の名を天下に響かせています。

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